2006年11月14日

人の歴史。

6時決戦。

2時間前、シャワーに入った。
「クビを洗って待ってろ」
よくそんな言葉を聞くけど、何となく自分のクビを
丹念に洗い。
鏡の自分を見たら、他人に見えた。
不安に思ってそうな顔だった。

1時間ほど前から動悸がした。
朝から薬を断っていたけど、「緊張を和らげる薬」
だけを服用。

20分前。
あたしには願掛けの香水がある。
かなり昔に初めて自分の為に買った香水。
「WISH」。
名前が好きだった。

どうか冷静でいられますように。
どうか笑顔で帰ってこられますように。

そっと服の中に一吹きした。


車で旦那と実家へ向かった。
最近1世ら5世砲靴娠豼陝
ゆっくりゆっくり吸った。
無言。


色々考えたけど、言葉は準備してなかった。
結局、もはやできるのは気持ちを伝える事だけ。
流れによっては戦いになるかもしれない。
でももう、準備は出来てる。
「風の谷のナウシカ」じゃないけど、剣かパンか。
両方見せて、相手がどちらを取るか。
それ次第だった。


着いた。
玄関を開けた瞬間から、相手もそれ相応の空気を
醸し出してた。


挨拶。
半年ほど前に手術をした義父に、体調をお伺いし、
ご無沙汰してた旨を義母に詫びた。
そこから義父の体調や薬の状況などの、世間話風な
雰囲気へ突入。
しばらくそんな話題に相槌を打ち、義父の雰囲気作りの
様子を伺った。


対峙。
私の病状から入った。
「重いウツ」である事。
それに伴う体調、生活状況、それについての原因など。
すると義母は言った。
「そんな下ばかり見て生きていてどうするの?」と。

あぁ。やっぱり判らないか。
ウツに関しては軽く往なされた。

そして私達の希望とする所を告げた。
そこらへんは入り組んだ事情があるんだけれど、
要は、同居はできない件、
長男夫婦であるけれど、自分達夫婦だけで後を担えない件、
それも多額の金銭を含む話で、
私達がそれを手に負えない件。
要はそれが心配の素で、私達に先が見えないと。
子供も望めないと。
借金を負いながら子供を育てる、なんてできない。
だから、それら全てを放棄させて欲しい。
心配なく、夫婦として家庭を築いて、子供を安心して
生める環境を望んでいる、と。

そもそもウツに拍車をかけたのが、その金銭の件だった。
私の体調の他に、その実家の持つ多額の借金が、
連帯保証としてわが家に課せられてる以上、
子供を作ってる場合じゃない。
稼がなきゃ。
そんな思いにも悩まされてた。

でもどうして私達が??
結婚したとき、弟夫婦が既に住んでいて、
そういうもんだと思ってた。
何の責任もないと。
それが結婚してからしばらくして、その弟夫婦と両親が
住んでる家の連帯保証人が旦那であると、旦那から
教えられた。
…唖然とした。
そして半年前に義父が手術して、体調を崩してから
それは更にリアルに不安として私にのしかかってた。

私には自分の実家の将来も、必然的に見る事になる
状況がある。
それは結婚前から旦那に告げてた。
私には弟がいるけど、弟は若くて独身で、遠くで就職。
転勤族だからきっと地元に帰ってくる事はないだろう。
私の父は不治の病で、きっとそんなに長くない。
次に病気が悪化したら、即死だと医師から告げられている。
それも半年ほど前の話だ。
母も持病を抱えている。
どちらが一人になっても、生活はとてもできない。

他に頼れる兄弟が居ない以上、優先順位は自分の実家だ。
旦那には他に家庭を持つ弟が2人居る。



その話をし始めた頃から、義母の雰囲気が明らかに
変化した。
普段はほわんと、へにゃっとした、掴みどころの無い
義母が、はっきりと人格を見せだした。

「はっきり言いなさい。後は継げないと、そういう事?」

と。


圧倒された。
何て言うんだろう?
義母も数々の苦労を乗り越えて今に至る経緯は、旦那から
何となく聞いていた。
普段はそんな片鱗も、見せない義母だった。
むしろ、
「世間知らずなんだなぁ」
くらいの会話で、どうやってこの60年近く生きてきたのか
と不思議に思うくらい。
そういうイメージしか無かっただけに、一瞬見せた
座った根性の片鱗に触れて、圧倒された。


しっかり義母の顔を見て答えた。
「はい」と。


そして、土下座して謝った。
「私が至らなく、申し訳ありません」と。
涙が出た。


長男の嫁として嫁いだ。
それなのに、継げないと、それだけの事ができないと
告げられた義父、義母の事を思うと…。
力ない私は詫びるしかできない。


義母の身体は小さかった。
義父は顔の皺が、年輪を物語ってた。
もうれっきとした年寄りだ。
きっと私達に希望を持ってたはずだ。
後を継いで欲しいと。
でもそれをはっきり絶望させた。


今更、あの時こうだった、どうだったと
恨みつらみを言う気になれなかった。
義父、義母のしてきた事は、確かに「筋」が通らない。
私達長男夫婦に対して、屈辱的な事ばかりだった。
特に嫁としての私には。
私としては、絶対に納得はできない。

でも、ここの「家」に私は嫁いだ。
郷に入っては郷に従え。
それが自分にどんな仕打ちであっても。


従えなかった。
「土下座」は、私の「長男の嫁」としての筋だった。
心から、詫びた。
義父にも、義母にも、そして旦那にも。
私が悲しませた。絶望させた。
私の心が、力が及ばなかったばっかりに。
その罪悪感が辛かった。
頭が上げられなくて、突っ伏して泣くしか出来なかった。


それを受けた義母は泣いた。
「私達がこんなに苦しめてたなんて…」
と、声を詰まらせた。
義父は黙ってた。
「こんなに苦しめて、それを知らずに私達が生きてた
 だなんて…。
 もう何と言っていいか…」
と、号泣した。



しばらくお互い泣き続け、沈黙。



義父が口を開いた。
「保証人の件、外すように何とか手配してみる」
と。
そして弟達に相談し、そっちに名義を変更してもらえるよう
相談してみる、と。


そして義母は言ってくれた。
「そんなになるまで、私達を心配して、先の事まで
 考えてくれて、ありがとう」
と。
深く深く白くなった頭を下げて言ってくれた。
もう、ただ涙が出て、首を振るしか私はできなかった。


義父、義母は私達に言ってくれた。
「私達の事は、絶対に迷惑を掛けないから、
 むしろそちら(私の実家)を支えてあげなさい。
 そしてあなた達夫婦が仲良く、健康で、
 いつか子供を授かる事が、どちらの実家にも
 何より一番の親孝行なんだよ。
 だから、長男夫婦だと囚われずに自分達の一番良いように
 好きなように生きていいんだよ」
 と。
 

義母は私と同じ、長男の嫁だった。
若い時の苦労の話を、教えてくれた。
だから私の気持ちも判るし、自分達の苦労や生活を
子供達に被せたくないと言った。

義母の苦労も、半端じゃなかった。

どうして「無神経、無関心」と感じる所以かに
触れた気がした。
義母も必死に「長男の嫁」として、家庭を守ってきたんだ。
とにかく耐え、とにかく必死だったんだ。
義母は私よりもっと不器用な性格だ。
きっと義母は、とても身近な夫を息子達を守る事が
精一杯だったんだと、思った。
上手く言えないけど。

義母の性格上、それが精一杯で細かな事でいちいち
立ち止まる事をしないように勤めてきたんだと。

ただ、勤めて明るく振舞ってきたんだと。

だから上手に言葉を言えず、誤解を生むし、上手に
表現できないでいるんだと。


思った。
あぁ、私のような、義父義母の半分以下も生きていない
人間が、推し量れる事なんかできないって。
決して軽んじていい訳がないんだって。
尊んでしかるべきだ。


散々旦那に向かって、義父義母を罵倒した。
蔑んで、軽んじた。

そんな自分を反省した。
私が浅はかで、小さな人間だった。

人間至らない事なんて幾つになったってあるに決まってる。




旦那の実家を後にする時、義母が
「これからも、何でも言い合える親子でいようね」
と、握手をしてくれた。



義母の今までした事は、きっともう恨むまい。
もう、いい。
涙と一緒に洗って流して、それでもういい。


正直、義父義母の生き方は私にはできない。
「ご都合主義」「事なかれ主義」
それは真似したくない。

でもその生き方に、「苦労」っていう裏づけが
ある以上、否定はしない。

そういう生き方もある。

人の積み上げた物を見下すほど、私の積み木は高くない。



正直、自分が土下座をして、謝るなんて展開は
思ってもみなかった。
だけど、高い積み木を前に、自分の浅さに愚かさに
文句なんて言えた立場じゃなかった。
ただただ、
「参りました」
それだけだ。
積み上げた物が無いに等しい私は、同じ土俵に非ず。
言うべき所は伝えたにしても、その大きさに
敬意を払い、自分の未熟さを反省し、詫びることが
できた事を満足に思う。

これだけ憎んでた相手から学んだものは大きい。
人生、まだまだお勉強は尽きない。


私の歴史をつくるのはこれからだ。



願いを込めたWISHをつけた私と、
WISH(車)を運転する旦那の未来が、どうか
明るい「WISH」でありますよう…。


帰りの車の中で、ふと自分の胸元から香る
香水に、そんな事を思った。



suilove9214 at 02:30コメント(0)トラックバック(0) |  

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